第十三話 査察開始 (連続14日目)

かなり必死に運転に集中していたので私は肝心なことを忘れていた。
「そういえば、家には車を止めておけるスペースがない…」
周りは空き家だらけなのでそれほど迷惑にはならないだろうが、何時までも路上駐車していて良いような程でもない。道幅も狭い。敷地内に入れたくても、庭は猫の墓場。そもそも、ああは言われたがどう考えてもケンジ君は要診察だろう。やはり病院に行くべきか?
決定権は私にはないようなので、たまよさん達にお伺いを立てよう…そんなことを考えていたら後からふいに声をかけられた。
「ケンジは心配しなくても私が病院に連れて行く…車も何とかする。心配しなくても大丈夫です」
いつの間にか後部座席に黄色、すなわち珠音が座っていた。
「あらあら、いつの間にか分離してたのね」
結構重要なことだと思うのだが、あらあらですましてしまうのか…流石は当代最強魔法使い。この程度は誤差なのか。
「この娘は人より存在確率が半分ほど足りないのよね…生まれつき」
それって原理的にはどういう事なんだろう。生死に関わることなのでさりげなく聞き返そうとするが…当人に先回りされた。
「人は通常、存在と不在の2つの状態にしかなれない。確率的にどうあろうと存在している者は死ぬまで存在し続けるし、不在の者は生まれるか生き返るまで不在のまま。つまり生死を挟まなければ人は存在の状態を変えられない。『いない』ように見せても、実際には『存在する』事を止められない。しかし、私はそうではない」
珠音は珠樹とドレス以外はほぼ同じ髪色、一回り…いや二周り小さい背丈だが、今気付いたが髪が一房だけ黄色く脱色されている。自己主張…なんだろうか。
「私は丁度半分の存在。半分しか居られない代わりに、半分居なくても済む…つまり、魔力を注ぐ方向を決めるだけで在不在をコントロールできるのです」
さらっと言っているが、とんでもない能力だ。それはつまり…
「つまり、それを応用すれば、私はどこにでも存在できるしどこからでも逃げ出せる。名付けて…」
シュレディンガーの猫か…通り名の猫はここから来ているのかも知れないな、と思った。だが違った。
「名付けて、ぱんつはいてない理論」
私は危うくハンドルを切り損ねるところだった。
「ぱんつの有るところ、どこにでも私は現れる。ぱんつのないところ、どこにでも私は現れる。現れないことも可能。すなわち無敵です。ふふり」
ものすごーく自慢げに話しているのだが…ひょっとしなくてもこれはギャグなのだろうか。
「特許出願中」
マジか。
「そうね、珠音に任せましょうか。確か一応免許も持ってたわよね?」
スルーするのか、長女。
珠音は頷き、「存在していれば、普通どころか大型特殊も持ってる」とブイサイン。
「ユンボとか、ブルドーザーとか、フォークとか、ロードローラーとか、面白い。ふふり」
またも自慢げ。
…しかし、それを持っていると言うことは最低でも18歳以上、おそらくは21歳以上という事か…どう見ても高校生にすら見えないんだが。
「まあ、まかせて」
胸を張る珠音に、「じゃあお願いね」と言う珠樹。…私には決定権がない以上、同意するしか無さそうだ。しかし、大丈夫なのか?
迷っている間に我が家に到着してしまった。
相変わらず気絶している…フリをしているイシイを受け取り、私と珠樹(+珠美+珠沙)は車を降りた。
渋々キーを珠音に渡す。
「ケンジと車を置いたらすぐに戻ってきます。わたしのぶんも、残しといて」
取りようによってはさらなる混乱を予感させるセリフを残して珠音は去っていった…急加速、急発進で。本当に大丈夫なのだろうか。主にケンジ君の命とかは。
車が行ってしまうとイシイは私の腕の中で『ようやっと気がついたよ!まったくエライ目にあったよ!』的演技をしてそこから飛び降りると、脱兎のごとく門をすり抜け、庭に入っていった。
門ではキャミソールに短くカットしたジーンズとサンダル、そして何故かエプロンと竹ぼうきを装備した楯霧斬が待ちかまえていた。まるで家の庭を掃除していたかのような姿だ。
「よう猫殺し。女連れで朝帰りとは大層なご身分だな」
ほうきを動かしながら斬はニヤニヤとそんなことを言う。本当に掃除していたのだろうか。
「…刃剣の楯霧を囲っている、って事ですか?」
固い声で珠樹が尋ねる。知りたいのはこっちの方だ。何故あの楯霧がこんな事をしている?間違いなく十和田絡みなんだろうが。
「よう、クソ魔法使い。俺には108人に見えたぜ?いろんなもんはみ出ててなかなか滑稽で気持ち悪い姿だったな。また今度やるときは呼んでくれよ。撮影して妹たちと観たい」
どうやらあの場にいたようだ。一瞬にして珠樹と斬の間に緊張が走る。
「セクハラですね。訴えますよ?」
「セクハラはそっちだろ。朝からあんなもん見せられて、俺は気分が悪い」
珠樹は杖を構え、斬は竹ぼうきを構える。竹ぼうき?日本刀でも例の持ち手のない剣でもなく?
「まあ、待ってくれ。わけが分からない。そもそもバイト達はどうしたんだ?もうそろそろ来る時間だろう」
家主としてはこのまま家の前でチャンバラをさせるわけには行かない。また逮捕されてしまう。
「バイト達には帰ってもらった。もう必要がないからな…お、気付いたか。さすが猫のことになると鋭いな」
猫たちとのリンクを一瞬だけ強化してサーチする…やはりあの子猫たちは居ない。私は青ざめた。
「おいおい、そんな顔するなよ…無事だろ?お前の猫たちは
確かに。確かに一匹も欠けていない。サルーの報告通り、全員無事だ。たが庭にはごく最近何かを埋めた形跡があった。そこだけ土の色が違う。…私の知らない墓標も立っている。
「おいおい。頭を冷やせ。ほんの実験だし、そもそもアレ達にはお前ではない主人が居たと言うことだ。それともお前はモルモットが死ぬたびにそうやって研究者に食ってかかる気か?」
ああ、そうするさ。こんな手の込んだやり方で填められたらそりゃ頭に血も上る。
「おおぅ?変身でもするつもりか?だがその装備は元々俺の物だ。当然俺には通用しない。だとしたらどうする?猫殺し。憎い俺を倒すのにどうしたらいい?」
斬はさらに私を煽るような事を言う。おもしろい、そのケンカ、買ってやろう…
「ちょっと待って?」
今度は珠樹が私達の間に入った。
「猫ちゃん達なら、私達が無事に飼い主の元へ返しましたよ?」
はい?
私のボルテージは一気に下がる。あー…これはつまり…
「何だよ淫乱魔女。せっかく面白くなるところだったのに…まあバレちゃーしょーがない。埋まってるのはタダの猫の糞だ。いつもどうしているのかしらんから適当に埋めた。墓標は何となくだ。あと、ついでに言っておくと俺がこんなマネをしているのは十和田にはした金で頼まれたからで、俺は暇だったから引き受けた。猫たちの様子も見たかったしな。妹たちも来ている。そして…ホントお前は女ったらしだな。客も来て居るぞ。居間でテレビでも観てるんじゃねぇかな?」
「テレビ?」
「退屈だったから俺が買った。アンテナも付けた。覚悟しろよ?来月から集金が来るぜ?」
なんと勝手なことを。しかしまあその程度ですんでよかった…十和田絡みならもっと酷い対価を支払わされてもおかしくは無かった。一連の出来事の整合性にちょっと疑問があるが、私はとりあえず猫たちが無事ならそれで良いとそこで考えるのを止めた。止めてしまった。
「それで、興味だけで聞くが、この雌豚は何のためにのこのこ家まで付いてきたんだ?戦闘にならなさそうだから途中で帰ってきちまったんだが、あれから何があった?もうやっちまったのか?」
「さっきから失礼ですねあなた。タダの査察ですよ査察。さっきから食ってかかってますけど、そんなに私とケンカしたいんですか?」
「お前には一切興味がないが、猫殺しがどっちの味方をするかには興味があるな」
それも面白そうだ…と、斬は竹ぼうきを投げ捨てて構える。ヤバイ、本気になった。
「俺の居ないときにやってくれないか、そう言うのは」
「それじゃ意味無いだろ…まったく、堅いな猫殺し。冗談だ」
斬は構えを解き、私の頭をわしわしと撫でた。こいつも何百年と生きてきた化け物なので、年齢差的に有りだとも言えるが…少し、屈辱的だ。
「十和田に頼まれたのはお前が帰ってくるまでだからな。俺は帰る。妹たちにはそう言っておいてくれ」
すれ違いざまに珠樹に何かを言い残して斬は去っていった。徒歩で。
ちなみに我が家から少し歩くとすぐに山道になっていて、その山の頂上付近が彼女たちの工房兼自宅だ。数キロ越しだがお隣通しである。山道は麓を通っているだけで頂上には何本かの獣道で行くしかない。当然車では入れない。そもそも普通の人間はそんなところにまで入ってこない。そこもまた近所でも評判の危険地帯だ。用のある奴は武器製造を依頼しに来たか腕試しに来たバカだけだ。そいつらはまず間違いなく目の前に突然現れる巨大な建物に驚く。私も驚いた。電気もガスも水道も電話も通ってるし、ネットまで引いてある。一体どうやって工事したんだろう。
「ここから遠いんですか?」
「私の足だと数時間掛かりますね…彼女たちには一瞬ですが」
何時までも立ち話しているのも何だ。珠樹を恐れて猫たちが一匹も出てこないのがとても気になるが…それでも、家に入れるために連れてきたのだ。私は覚悟を決めて彼女を招き入れた。