第三十六話 潜水艦ゲーム (連続39日目)

狂った世界では有った。
魔法の錬金の超科学の秘密結社の英雄の神の虹の幻想の空想の妄想の宗教の正義の混沌の時代で、怪力乱神を語る世の中だった。
だがある意味平等ではあった。
魔法使いは何も黒虹達だけではなく、刃剣は楯霧家以外に少なくとも五件存在していて、世界の書き換えも時空走行社のみの専売特許ではなく、一度起きた奇跡は条件さえ揃えば再現可能だった。
だから私がネコ使いだというのなら世界の何処かにそれに類する能力を持った存在が居たとしてもおかしくはなかったが…よりによって犬使いなのか。
そう言われて初めて気付いたが、私はこの町に来てから一度も犬を見たことがない。何度か保健所に猫を引き取りに行ったことは有ったが、そこにも犬は居なかった。それどころか犬を飼っている人も知らなかったし、散歩している所も見かけなかった…猫達の報告にも犬の姿はなかった。何度かやってしまったフルリンクの時ですら匂いも声もしなかった…
なんだこれは。
犬に関する記憶を掘り起こしていく…最後に犬について話したのは…フサエがまだ生きていた頃。やはり保健所。「この町には××は居ないのね…やはり×××がいるからかしら?」おいおい、何故伏せ字なんだ?…恐らくこれは野犬…そして…犬使い?三年も前に?というよりフサエは知っていた?
「亡くなった奥さんのことはともかく、イヌならこの町にもいくらでもいるし、飼ってる人もたくさんいるじゃん?たとえば三件隣の家とか。もしかして知らなかった?」
知らなかった。三件隣に人が住んでいることさえ知らなかった。レベッコに尋ねてみても、「そこには何もない、何かの間違いだ」と答えが返ってくる。
「そいえばこよるちゃんも『猫なんて見たこと無い』って言ってたなぁ…良いところのお嬢さんならそれも有りか、くやしいのう、とか思っちゃったけどあれはただ単に見えてなかっただけなのかなー?つーか私達とネコ使いと犬使いとでは、見えている世界が違うのかも知れませんね、文字通りの意味で」
私はどうしてもそれを信じられなかったので、夜中だったがテレコスピーカーを伴ってその三件隣の家に行ってみることにした。
「でっかい犬小屋有るし、何より近づくと誰彼かまわず吠えやがりますからね、あのバカ犬。だから見えていれば速気付くはず…てか、ちょっと近所迷惑かも?」
けれどテレコは嬉しそうにいそいそと仕度をして、早く早くと私を急かした。
念のためレベッコとスンタリー、そして私の猫になったばかりのグナイ、まったく関係ない通りすがりの猫(思わず名付けたくなったが自重)を連れて私達は慎重に歩を進めた。
「たかだかご近所に行くのにこんなに緊張するのって、なんか面白いね」
いや私は面白くない。
一歩一歩確かめるように進んでいく。
一件目を通過、二件目にさしかかる頃、通りすがりの猫が急遽反転して逃げたした。私は急いでその猫とリンクを繋ぐ。支配下に置いてないので何を考えているのかまでは不明だが…彼の中を支配しているのは恐怖。何に対して?…何か。見えないし聞こえないし匂いもない、でも恐ろしい何か。彼は別に犬を知らないわけではない、その犬のこともちゃんと知っている…ついさっきまでは。しばらくすると彼は『あれれ、ぼくはなにをしてましたっけ』とばかりに立ち止まり、再度反転してこちらに駆け寄ってきた。
「なー」
なんかくれ、か。
私は慎重に彼へのリンクだけを切断する…一匹ごとにオン/オフを切り替えるのは難しい。一度でも接続した猫は生涯接続が切れることがない…名付けたりしたらなおさらだ。だがあえてやってみる。
全体のリンクを最低限まで絞り込んだところでなんとかそれは出来た、ような気がした。その名のない猫はそのとたんたたたたと先行して走り出し、問題の家の前にさしかかったところでやはり反転、一目散に逃げ出した。
私の猫達に変化はない。
何も感じ取っていないことが伝わってくる。
今起こっていることの恐ろしさを実感しているのは…レベッコだけか。他の猫は何故あの名無し猫が逃げ出したのか理解できていない。
私達は再び歩き出す。
「わっ!」
テレコスピーカーは急に何かに驚いて、あわててその家の前を通過、かなり先まで行ってから私を手招きした。
私にも猫達にも何も聞こえない。
「ちょっとちょっとおじさん!めいわくだから!立ってないでこっちへ早く早く!」
小声で彼女がまた私を呼ぶ。吠えられているらしい。私達は慌ててそちらへ走った。
「ん?」
気付くとグナイだけがそこに取り残されていた。
「?」と言う顔で、よりによってその家の玄関先に座り込んでいる。
「ちょっ!?家の人起きちゃったかも?!」
丁度良い。私の記憶ではここには誰も住んでいないはずなのだ。存在しないはずの住人が見られるなら、私もこの件に納得できる。
「あーあ…出て来ちゃったよ…」
何も出てきてないのだが。玄関の戸はきちんと閉まったままだし、灯りもつかない。
「おじさん、あの子にこっちじゃなくて屋敷の方に行くように言ってくれる?このままだと私達見つかっちゃう」
私達は電柱の影からグナイの様子をうかがっていた。まあ確かにこんな様子を見られたらめんどくさいことになるだろう。
私はテレコに合図をもらって、それに合わせてグナイを屋敷に戻るように命じた。
どうやら巧く行ったようで、私には見えないその人はグナイを数歩追いかけ、それから家に戻っていった、らしい。
「今通るとまたあの犬が吠えるから、ぐるっと回って行きましょう」
テレコスピーカーは先頭に立って歩き始めた。
「なんだか騙されている気分だ」
私はこれまで誰よりもこの世の真実に近い位置に居ると、その気になれば何時でもアカシックレコードにさえ触れられると思っていたが、実際は誰よりも何も見えていなかったのだ。ショックだ。
「失敬な。あたしはだましてなんかないですよ?」
まあ、そうなのだろう。嘘にしては手が込みすぎている。
…しかし、以前はこんな事はなかったはずだ。この町に来てからだ。問題はこの町のせいなのか…私自身が変わってしまったのか。
「そう言えばこの地域は空き家が多いと思っていたんだが…ひょっとしてその一軒一軒も…」
「んーたとえば?」
「斎藤さんちの右隣」
「ああ、豆芝飼ってますね。居ますよ」
「そこのマンションの二階は?私には全部空き家に見えるんだが」
「そこは…えーとたしか同じクラスの子が居たと思う。少なくとも誰も居ないって事はないかな。開いてる部屋はたくさんあるけど」
「上杉さんの二件となり」
「どっち側?」
「北側かな…」
「んーちょっと良く分かんないな…つーかついでにこのへんぐるっと回ってみません?」
私の顔を下からのぞき込んでテレコスピーカーは提案した。
「まあ、ついでだ。やってみよう」
全てをチェックするのは大変すぎるが、近所だけでもマッピングしておくべきだろう。これまでは空き家だと思って町中での戦闘時にそちら側に敵の攻撃を流したりしていたが、ひょっとしたらその内の何発かはビンゴだったかも知れない。怪我した人もいるかも知れない。もしそうなら何らかの形で詫びに行きたい…しかし私には見えない人にどうやって?
「よっしゃー真夜中のデートだー♪」
テレコは何故か上機嫌だ。私の周りを両手をあげてグルグル回っている。
「ぐるぐるおじさんのマネ」
止めなさいって。


軽くご近所を回るつもりだったのだが気が付いたら二時間も経っていた。「夜はこれからっスよ!まだ宵の口っスよ!」とますますテンションの上がるテレコスピーカーを引きずって私達は家に帰ってきた。
「隊長!明日以降の作戦を立てたいであります!」
テレコは町内どころかこの地域全体をマッピングする気満々だ。地図を広げてマーカーを並べ立てる。明日は土曜なので朝から回ろうとワクテカしている。何がそんなに楽しいのか。
「確かにそれはやらなきゃならんだろうが…それよりも」
私には気になることがあった。
「こうなってくると、犬使いにも会っておきたいな」
「んお?!」
テーブル上のマーカーを全部床にぶちまけて、テレコスピーカーは大げさに驚いた。
「もう真夜中なんだから少しは落ち着けよ…私としては向こうの話しも聞いておきたい。向こうも苦労してそうだしな。お前、犬使いと連絡取れるか?」
「れれれれれれ連絡?メールしろとととととととととととととと?そりゃ昨日思い切ってメアド交換したけどどどどどどどどど…」
明らかに動揺している。おもしろい。
「あー、何だったら私が直接話を付けるが…問題は向こうとこっち、お互いが見えなかったときだよな。お互いに存在しないことになってたらコミュニケーションも何もない…そうだ、その時はテレコ、お前が通訳してくれないか?せめて意志の疎通だけは確保したい。これからのために」
こちら側からは手詰まり状態のいくつかの案件が解決できるかも知れない。それにこの奇妙なブラインド状態を解消する手段も。
「そそそそそそりゃよろこんでや、やらやらやらららららららさせてもらいますけどどどど、ど、えーと、その、大変ですっ!隊長!」
なんだ?
テレコスピーカーは顔を真っ赤にして叫んだ。
「彼に会うための服がありません!」
いや、用があるのは犬使いの方なんだが。