第三十八話 封印 (連続41日目)

「存在を傾きで捉えられる私には自明。でもそうでない人に説明するのはとても困難。図を示して説明したい…です、が」
珠音はホワイトボードを持ってきょろきょろしている。置き場に困っているらしかった。
「ん、テっちゃん。ちょっとこっちへ」
「テっちゃん?あたし?その呼ばれ方は初めてなんだぜ?」
テレコスピーカーはそれでも素直に珠音のそばに寄った。
「うん、ここここ。ここに座って。正座。ぱんつはちゃんとガード。角伸ばして。そうそう…良い。その角度」
ソファに腰掛けた私の真っ正面に来るように微調整。まさかこれは…まさかだった。
かちゃり。
角を支えにしてテレコの頭の上にホワイトボードを載せる。
「グッジョブ。これで見やすい」
親指を立ててウインクして見せた。
「なっなんですとー?!」
慌てて立ち上がろうとするテレコスピーカーを珠音は肩を押さえて征する。
「落ちちゃう。動いちゃダメ。ちょっと我慢する」
テレコは反論する。
「えー?だってこれじゃあたしが見られないよ?」
「問題ない。どうせ中学生にはわからない、です」
「えー?ひどい、ひどくないっスか?それって…あうっ」
一瞬金縛りをかけられたようだ。
「少し黙って。…では、講義を始めます」
珠音は少しかがみ込んで何かの図を書き始めた。鼻歌交じりだ。聞いたことのある旋律。
「ろっくがっつむっいかっにゆーふぉーがっ♪」
…何故国民的みみなし青猫を書く必要がある?しかも古いぞこれ。どう考えてもリアルタイムで視聴してないだろ。
「再放送を録画したのを見た。再放送は割と最近」
ひょっとして私の年齢に合わせてものすごく余計な気を使ってくれたのだろうか。
「くぁーっ!あたしも珠音さんのドラちゃんがみたいです!」
律儀にボードを両手で支えながらテレコスピーカーは叫んだ。
「ふふり。仕方ない。ボードは空中に固定したから、そっちに座って講義を聴いて良い。ただしいちゃいちゃ禁止!」
珠音はビシッと両手をクロスさせた。
「珠沙のマネ。ふふり」
いや、それはモトネタが有る…わかっててやってるんだろうが。
そして空中に浮かんだ漫画のキャラを放置したままようやく講義が始まった。
ボード使わないのかよ。


「以上の事から導き出される結論はひとつ。『パスが二重にかかっている』」
私もテレコスピーカーも魔法に関してはシロウトなのでテクニカルタームを駆使した珠音の説明は少し手強かった。珠音自身もそれにはすぐ気付いてなるべくわかりやすい表現を心がけてくれているのだが今ひとつ伝わらない。
「んー…なんというべきか。もともと大きな魔法がこの地域にはかかっていて、その解除には小夜がいくつかの手順を踏む必要がある。この大きな魔法は小夜が掛けたわけではない。虹の抽選によってたまたま…向こうでは「わらわら」ってかわいい表現をしてる…わかりやすくおおざっぱにいえば、神様の気まぐれ。わかって」
身振り手振りを交えての懸命の説明だ。ボード使えばいいのに。
「ダメ。ドラ○もん消したくない」
「うんうん、これは消せないですよねー」
わからん。ただの落書きじゃないのか。
「もう一つの方の魔法は…説明可能、しかし説明するのはルール違反。姉にも止められた」
しかしそれでは私が困る。何とかヒントだけでも知りたい。
「説明すること、知ってしまうこともパスの中に含まれているのでヒントも慎重に出さなければならない。難しい。さっき相談に行ったのはほぼそのせい」
パスが破れると何か問題が発生するのか?
「する。世界的にもあなたにも。なのでテっちゃんを介して犬使いに会うのも止めた方が良い。幸い、認識しないでいても問題が発生しないように調整が掛けられている。なので『知らないふりをして』日常を継続することをおすすめ、です」
調整、ということは時走社絡みでもあるのか。相当大がかりな話だな。
「最後にもう一つだけ聞きたい…その小さな魔法は、フサエが掛けたのか?」
珠音から表情が消えた。
無言で私の顔から何かを読みとろうとしている。…つまり、フサエの魔法ということで確定なのか。
「…ちょ?なにこの雰囲気?重いんですけど?」
テレコスピーカーがふざけた調子でそんなことを言うが、私も珠音も黙って見つめ合ったままだ。
「え?なに?愛が芽生えちゃった?そしたら珠音さんはたまねぇじゃなくてたまかあさん?うわっゴロ悪っ!…ってそろそろ反応してよーさみしいよー」
その様子がおかしかったわけではないだろう。珠音はふっと鼻でかすかに嗤い、続けてこういった。
「思い出したのではなく、推理したのか…それで、カマを掛けてみた。私はそれに見事に引っかかったと。困った。これでは姉に叱られてしまう」
珠音は空中に浮かんだホワイトボードを掴んだ。
「ああっドラちゃんがっ!」
落書きをさっさと消すと珠音は恐ろしいスピードで何かを書き始める。
「では、パスをもう一つ上書きしましょう。多い分には問題ない。きっとそうするべき」
そう言いながら彼女はもう何かを書き上げてしまった。
「見て」
魔法だ。
目を閉じようとしたが間に合わない。
ボードには一瞬で書いたとは思えないほど精緻な絵だ。微笑む女の顔。
「うわっ巧い!これって…」
何処か遠くでテレコスピーカーの声がする。
「こよるちゃん?すっげー似てるよ!」
…いや、違う
    これ…は
  ふさ…え?
「…?」
私はそのまま気を失った。


目覚めたとき、私はこの件をすっかり忘れていた。
なので私は「自分は全てを覚えていて、決して忘れることが出来ない」と勘違いしたままだった。もちろん自分には見えない領域があることも、犬使いも、抽選の詳細についても全て忘れ去っていた。
これを思い出すのはもっと後のこと。
そう。私は思いだしてしまうのだ。