第四十五話 フサエさんの講義その2 (連続50日目)

えーと…なんの話だっけ?
と、フサエは雲のソファーに埋まるようにして言った。
疲れた。もうシロウさん、帰ったらいいよ。
そんないいかげんなことも呟いていたような。
「そんなわけ行かないだろ…本題はこれからだ」
そう言う私も疲れ果てていて、ごろんとソファーに横になっていた。
仮想的な空間なので疲れたりしないし本来寝る必要もないのだが、人の脳は休息を欲しがってしまうものらしい。
「時走社では一日体感10万時間の残業が普通だって聞いたこと有るよ?…あの人達の時給、一円以下って事よね」
「あーそれは私も聞いたことが有る。良く耐えられるよな…ああ見えて、皆相当タフなんだな」
フサエはえいやっと立ち上がった。私もいつまでもだらけてはいられない。起きあがろうとするが…そこにフサエはダイブしてきた。フライングボディアタック。
「とぅりゃっ」
「ぐえっ」
衝撃も触感も匂いもしない。重みも感じない。…けれど、いきなり声が近くなる。
「あははは、もっと早くこうすれば良かった」
同感だ。何も遠慮することはないわな。私はフサエを抱きしめ返した。
「このまま全部の時間を使い切りたい気もするけど…そんなわけにも行かないし、このまま聞いて?」


自動発動する願望充足装置があるのだという。
それはある特定の人物の願いを自動検出し、勝手にそれを叶えるべく世界を調整するのだという。
「時走社はそれに対抗するための組織、くじ引きは特定人物の選出方法って事ね」
当選した人間は一人一人微妙に位相をずらした世界に移動する事になる。そうしないと装置の調整同士が矛盾するからだ。
「つまり、当選者も装置も複数存在する?」
「うん、そういうこと」
当選者は自分の願いが叶えられていくことをコントロールできない。その強さなどには関係なく願いは未知の検出方法によって検出され無作為に叶えられていくからだ。予め何が叶えられるかはわからない。
よって、世界と自分自身の自衛のためにいくつか大がかりな仕掛けを施すことがほとんどなのだという。
「調整によってはあっさり全人類が滅亡しちゃうからね。自分自身に強制暗示をかけたり、永遠に昏睡する事を選んだり選ばされたり。時走社が隔離して調整する事が多いかな?後は装置破壊者が別の位相から来て、装置ごと破壊されるとか」
しかし無尽蔵に増えていく当選者と装置に対応しきれていないのが現状だという。
「で、今回のケースは私が当選者だと?」
フサエは首を振った。
「『願いを叶えられる』というのはこんな生やさしいものじゃないわ。当選者はあなたが認識できない人物そのもの、犬使いのこよるちゃんよ」
その名前を足がかりに、私の記憶は一気に蘇った。今まで見えていたのに見えなかったこと、知っていたのに知らなかったこと、わかっていたのにわかっていなかったことが解消されていく…しかし何とまあ酷い右往左往ぶりだろうか。急に恥ずかしくなってきた。
「思い出した?じゃあもうこの件に関しては言うべき事はないけど言いかけたことだからざっと説明しちゃうね?要はこよるちゃんはシロウさんを認識したくなかったのね。予め強すぎる能力や効果とは完全に遮断されるように調整してたみたい。なぜなら、それを知ってしまったらそれに関することを願ってしまうから」
たまたまこよるの位相と私の位相がお互いに影響し合うほど近い位置にあったのも拙かった。こちら側の余計な動きが向こうにも影響し始めていたのだ。
「なんで、私もあなたにブロックを掛けておいたのね。あなたも犬使いを認識しないように。普通ならそんなコトしなくても大丈夫なんでしょうけど…ほら、シロウは知りたがりだから」
確かに。そんなことを聞いたら徹底的に調べ上げないと安心できないだろう。
「ここの所犬に関係する全てが見えなかったり犬自身のことを失念していたりこよるちゃんを見るたびに気絶していたのは、私とこよるちゃんと時走社、それと暗示が解けかけていると勘違いした珠音ちゃんの追加暗示との複合効果なのね。なんで急にそんなことになったかというと、向こうの位相で結構大変なことが起こっているから。このところ秘密結社がまるで音沙汰無いのもそのせいだったりします」
私はその詳細を知りたくなったが、「ダメ!絶対!調べたりしたら離縁しますよ?!」と言われては仕方ない。
「この状況は遅くても後一週間程度で修了するから、それまでは夏休みだと思って大人しくしていて?心配しなくてもそこからいつも通り忙しくなるし仕事も入るはずよ?」
しかし何もするなというのも辛い。
「十和田に電話するのも猫にリンク張るのもダメよ?今下手に動くと、あなたまで装置に発見される危険があるんだから。そうなったら例え黄泉返ったとしても一生恨むわよ?」
私は一週間何もしないと固く誓った。
「本当はここでの記憶も全部消してしまいたいんだけど、無けりゃ無いでシロウさんは勝手に推理して調べ回るからなぁ…だから今回は消しません。その代わり自重してね?しつこいようだけど。あと、これを見て?」
フサエは私から離れて雲の下に隠していたと思われるパネルを取り出した。反射的に私は顔を伏せる。
「ああ、大丈夫。ここはその効果の外側だから、顔見ても気絶したりしないよ?」
パネルにはフサエそっくりの女子高生の写真が貼ってあった。
「そっくりでしょ?これが小夜。一番下の妹なんだ…今までそういうわけで紹介出来なかったんだけど、これですっきりした。ウチの両親にも調整が掛かってるから残念ながら小夜は天涯孤独の身なのね。私も助けてあげたいけど、ほら、死んじゃったから。夜太君ががんばってるから心配はしてないんだけどね…この位相からは完全に消えちゃうんで、これが見納め。一応覚えていて?義理の妹の顔を」



それから何度も何度も念押しされて、ようやく私は現実の時間で目覚めた。
さわやかな目覚めとは言い難かった。
猫達が私の上に何匹も乗って私の顔をのぞき込んでいた…のもあるが、主な原因は体感48時間にも及ぶテレコスピーカー教育方法講義のせいだ。実行しないと怒るとか言ってたよな…鬱だ。
私はベットから起きあがり事の顛末をきゃあきゃあ言っているテレコスピーカーに尋ねた。
講義を実践しようと言うのではない。何がきっかけで倒れたのか、いつに飛ばされたのかがわからなかったからだ。
「そんなことよりもう大丈夫なの?もう一週間も寝っぱなしだったんだよ?病院行った方が良くない?」
一週間か。また随分と豪快に意識を失っていたものだ。テレコが半泣き状態なのも頷ける。
…そうか、一週間か。
フサエは一週間程度で収まると言っていた。
ならばもう良いのではないだろうか?
私は猫達へのリンクをほんの少し強化して、
再び気絶した。


「もーあんたって人は!」
痛覚は無いはずなんだが、やっぱり痛いなぁ電撃。