第五十六話 暇 (連続61日目)

試験二日目。
すでに絶望の色が見えるテレコスピーカーの顔を見て、『もう、気を使う意味なんて何一つ無いのではないだろうか』と思いつつも私は彼女たちが帰ってくる正午過ぎには十和田の研究室に居た。
「改造人間にまっとうな人生はありえんけど…まあ、今年はがんばっておいた方が良いかもな。少し状況が変わるかもしれん」とは十和田の言。
説明してくれと食い下がる私に、奴は「だからそんな気がするってだけの話だ。お前やお前の奥さんのが詳しいはずのことだぜ?!」と言って答えてはくれなかった。
「まあ俺としては猫殺しの猫殺しが見られれば満足なんだがな。俺の装備が120%使われるならなお良し」
今日は斬も同席している。昨日は中学生達に質問攻めにあって大変だったらしい。
「全くお前が逃げたもんだから病み上がりの俺があいつらの相手をするハメになったんだぞ…哀れに思うのならとっとと家に帰ってあいつらの相手をしてやれ」
何となくその惨状が理解できてしまったのでますます私は家に帰れなくなってしまった。
しかし。
しかしだ。
いい大人達が平日の昼間から世界の終わりについて酒を喰らいながら額をくっつけ合って話している光景…終末とはこんなものだと言わんばかりだな。
「なんだネコ使い、もう回っちまったのか?だらしないな」
このメンバーで酒席となったらもうどうしようもないのは分かり切っていたのだが、つい、久し振りに手が空いたので誘いに乗ってしまった。本来ならここからいくつかの仕事をやっつける予定だったのだが…もう無理だな。
もう研究室の床は酒瓶で埋まりかけているし。
「おお?!何年ものだかは不明だが泡盛発見!」
「何?それは一大事だ。早く飲み干さないと世界が終わるぞ?!」
「…止めないが、それは多分泡盛とかじゃなくて、なんかの薬品だぞ?止めないが、飲むと死ぬかも知れないぞ?そうなればいいと思っているが」
「おお?!猫殺しが他人を気遣っているぞ?!」
「何?生意気な。少し懲らしめてやる必要があるな。よし、飲め。遠慮は要らない。みんな家族だ。全ては一つ。一つは全て」
そんな状況で、彼女は帰ってきた。



「やあやあ悪党ども。こんな昼間から飲みながら悪巧みですか?」
そう言いながら小さな女の子が入ってきた。
全員が知っている顔だ…もう少し、大きな姿を。
私達は何故そうなったのかを瞬時に理解した。理解した上で十和田が言う。
「わはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは嬢ちゃん、大人に向かってその口の利き方はないなあwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww」
次の瞬間、弾丸のようなドロップキックが十和田の顔面に直撃。昨日は華麗に山田(仮称)をコントロール出来ていた彼だがやはり経験の差か。女の子の足が十和田の顔面を捉えて静止した瞬間を狙って斬の居合いが飛んだが次の瞬間には女の子は自分のコップと酒瓶を持って後に下がった私の背後に隠れていた。十和田がゆっくりと後に倒れていく。
「こっわーい。あのおばさんが私を狙ってるのっ!助けておにいちゃん!」
「…あなたの方が年上じゃないですか、開花さん」
斬はもう一撃入れようと構えるが無駄だと悟ったのだろう、刃物をしまってため息を付いた。
背後にしがみついていたはずの女の子は倒れた十和田の上に出現、自由落下して十和田をふんずけた。
「ぐえっ」
「まあ、そうなんだけどね♪シロウちゃん、ここには小さな女の子ちゃんのための甘いジュースとかはないのかい?」
いきなり図々しいのは相変わらずだ。それを否定しても意味がないのは知っているので私は諦めてその要求に従うことにした。確か冷蔵庫にオレンジジュースがあったはずだ。
十和田が叶開花を起きあがりざまに攻撃しようとするがやはり空振り。何処かから取り出した愛用のマイチェアを設置、その上に「よいしょっ」と座り込んだ。
「十和田も斬も久しいねぇ。5年ぶりくらいかい?おお、スンタリーとレベッコも居るじゃん。やあやあ。おねーさんのこと覚えている?」
懲りずに攻撃を続ける十和田を椅子ごと消えて避け、部屋の隅に控えていた2匹の前に突然現れる。
「フーッ!」
「に゛ぁ!」
「ちょっとちょっとシロウちゃん、スンタリーの声が潰れたままだよ?ちゃんと治してあげなよー」
うるさいな。治るようなら治している。
猫を撫でている開花をさらに攻撃しようとする十和田を斬が制する。
「バタバタするな。酒が不味くなる」
「自分だって抜いたじゃねーか」
「ああ、だが届かないのがわかったから止めた。お前だってわかっているだろ?あれだけ先読みして瞬間移動されたら攻撃は当たらないし…足止めのために魔法やら術を使うなんて興ざめだ」
「まあそうなんだがよう…」
私はカオス状態だったテーブルの上を軽く片付け、叶開花のためのスペースと飲み物を用意した。
「ハイどうぞ。飲み終わったらお帰りいただけるとありがたいです」
「わーい♪一言多いけどありがとうね?シロウちゃん。お礼に後で良いお医者さんを教えてあげる♪」
ふたたび椅子ごと瞬間移動した開花をにらみつける十和田だったが、ようやく諦めて自分の椅子に座り直した。
「そうやってその力を使い巻くって、しまいには赤ん坊になっちまえばいい。…新しい担当者というのはお前か?」
「うまー。オレンジジュースうまー。所でケーキとかはないのかい?」
聞いちゃいねぇ。
叶開花は五年ほど前にこの町に居た時走社の担当官だ。
時走社社員はとあるオーバーテクノロジーを使用することによって時間と時間の間に無限に近い仮想時間を使うことが出来る。理論的には。普通の社員は大抵一日1万時間も仮想域で残業したりしない。10万時間を超える彼女は狂気の沙汰だと言える。
ちなみに時走社社員の給与は実時間での時給制だ。働けば働くほど体感での時給はゼロに近づいていく。
「いやあ、貯まっている案件が有るとイライラしちゃって楽しく休んでいられないんだよねー。おかげでもうこんなにちっちゃくなっちゃった♪」
普通の社員はどれだけ仮想時間を消費しようが若返るなんて事はなく、理論上そんなことは有り得ないのだと私は他の時走社員に聞いたことがある。そこまで物理法則をねじ曲げるようなことは出来ないししないと。
しかし彼女は若返り、いまや小学生だ。
「失敬な。これでも中学生なんですぅー。設定では14歳なんですぅー」
「実年齢は?」
「69歳♪仮想域での体感だと56億7千万歳くらいかな♪この間弥勒菩薩見たぜ?!」
いや、ありえないから。
「…で、もう一度聞こう。新しいこの地域の担当官はお前なのか?」
斬は十和田の質問を再び繰り返した。重要なことだ。それ次第では私も今後の身の振り方を考えなくてはならない。
「違うよ?つーかここは山田の担当でしょ?代わったの?」
知らないとか。再びありえない。
「あー実はわたし、休暇中なんだ。あまりにも小さくなったから『実時間で3年成長してこい』って蔵櫂に言われちゃってさぁ。だから今年の件に関しては全く知らなかったりする」
うわぁ。
新しい担当官になられるより嫌な状況だ。
「だったらなおさらその力使っちゃ不味いだろうが…消えて無くなりたいのか?その望み、今叶えてやろうか?あ?」
「あー大丈夫大丈夫。一日12時間以上使えないように制限されてるから」
「…それは仮想時間で?それとも実時間?」
「実時間」
意味無ぇ。
「あーでもあれですよ?サーバーにはアクセスできないんで、実際の所こうやって十和田をからかうくらいのことしか出来ないんだ。退屈でねぇ。だからちょくちょく顔出すから…遊んで?」


そんなわけで、この町に危険な暇人が一人増えてしまった。
鬱だ。