第六十八話 隔離 (連続74日目)

なんでも知ってるなんでも出来る。
しかし、彼も私も人間だ。例えこの世にある全ての粒子の動きを計算しつくせたとしてもそれを永遠に続けることは出来ない。
どうしても意識していない部分に隙が出来るし、想定していないことには対応できない。集中力だって有限だ。
もちろん策は立てられる。
たとえば時走社社員による攻撃に備えて彼は時間に細工が出来なくなるような装置を常時起動させている。
時走社の工作は主に時間の隙間に無限の時間をつぎ込む事によって成立しているので、それさえ防げば彼ならなんとが出来るだろう。
その装置は先ほどのリンクもどきによると時走社制だ。前々から狙っていたらしい。私に接触する直前にジャックし、公園内の5人が中継して動かしている。その維持にはまた人の命が使われている。七目高校付近は大虐殺だ。
私が時走社と連動して動いていないのは当然知っていたはずだが、時走社側が私の動きに乗じて何かをしてくるかも知れないと想定していたようだ。
今日このタイミングで私を懐柔するなり排除するなりを考えていた彼にとってそれが一番の懸念事項だった。それさえなければ私との戦闘に集中すれば問題ない。刃剣の姉妹も犬使いも隣の地域にいる。この地域の他の対抗勢力は現場にたどり着くのに未だ数時間かかる。私との戦闘は5分もあれば終わる。そう考えていた。
一方、私にはほぼ打つ手がなかった。フルリンクしてもどの攻撃もすでに知られているしそれを上回る攻撃は無い。奥の手もバレバレだ。彼の想定した5分をなんとか生き延びて、その先の奇跡を信じるしかない。そんな状況だった。
だから二人とも頭上の脅威には全く気付かなかった。
ぐしゃり。
たまたま天空から降ってきた少年に簡単に潰されたのは、つまりはそういうことだったのだ。


「ありがとうポセイドン。小夜によろしくね」
羽の生えた巨大な犬は頷くとそのまま地上に降りることなく行ってしまった。
鳥みたいなのにポセイドンなのか。
私が怪訝な顔をしているとそれを察したのか逆川夜太は疑問に答えてくれた。
「ちなみに水中が得意なロプロスというしもべもいたりします…そーゆーのが好きみたいなんですよね、小夜さんは」
地上十数メートルからのダイブは流石に足に負担がかかるらしく、夜太は地面にそのまま腰掛け足を押さえていた。
特にイケメンというわけでもなく、特に頭が良さそうでもなく、特にマッチョでもなく、特に優しい人格者というわけでもない、ごく普通の大人しい少年だった。
「ともあれ、初めまして。僕が逆川夜太です。小夜さんとは幼なじみ…と言う設定になってますが元犬です。落語のやつ、あるじゃないですか。あれ、まんまだと考えて差し支えないです」
しかし私には彼はただの高校生にしかみえなかった。
「最初は苦労しましたから…小夜さんはやったらめったら高いレベルの要求してくるんで、最初の数年はノイローゼみたいになってましたよ…と、これも余談ですね。いやー小夜さんとはいつも一緒なんで、こうやって愚痴を言う機会がなかなか無くて」
「ほほう、それは良いことを聞いちゃったかも」
いつの間にか叶開花までがその場にやって来ていた。
「ちょ、開花さん、告げ口とかは無しですよ?」
「ふふり。さあどうしようかなー。ま、それはともかく。さっさと自己紹介しなさい、シロウちゃん。あと10秒くらいで社員が来るし、そしたら私達はこの場を動かなきゃならないんだから」


気絶した人使いの周りを何人かの時走社社員が取り囲んでいた。
彼らはやがて人使いと共に点滅を初め、やがてその間隔は広くなっていき、そしてついには全員消えてしまった。
少し離れた場所で私達は叶開花に事の詳細を聞いていた。
「このまま隔離処理しちゃうんだ。本来は抽選者以外には使わないんだけどねー。被害がここまで増えちゃうと無視できなくて」
彼は無人の位相に移されるらしい。
「人がいなけりゃ流石の人使いも何も出来ないしね。一応犬と猫にも応用出来るのわかってるからそれも無し。他はこの世界と同じ。ま、たまに様子を見に行くウチの社員が懐柔されたり、なんか思ってもみなかった生物とリンクして再び位相の壁を超えて来ちゃうかも知れないけど、それまでの間にリンクするタイプの使い手に対する対策がきっちり出来上がってるはずだから無問題。一件落着って事ね」
時走社本体に通報したのは開花だった。時走社側ももちろん事の推移を掌握していたが、例の装置のせいで手をこまねいていた。だが人使いの意識が消えると例の装置も停止、瞬時に緊急チームが結成され、現在に至る。
「シロウちゃんも悪いことしたら猫のいない世界に閉じこめちゃうよ?ん?何その顔は。そうして欲しい?ダメよー。ダメダメ。これ、めっちゃコストかかるんだから。今回の件だって私の通報と時走社の設備破壊が無ければ時走社は動かないつもりだったんだから。もしそうして欲しいのなら…そうね、世界中の猫とフルリンクして、人類を絶滅させるくらいのことをしないと」
それじゃ猫も人もお終いじゃないか。出来るはずがない。私は究極の解決策を諦めるしかなかった。
「ま、そのうち自動リンク生成を防ぐ方法をウチの技術部が編み出すだろうから、気長に待ってたら良いんじゃね?多分生きてる内にはなんとか出来るはずだよ?それまではフサエたんも消さずに取って置いてあげるから。ホントは規約違反なんだけどね」
フサエのこともばれていたのか…まあ、当たり前か。
「ま、色々とむかつく組織なのはわたしも同意するけど、いちおーは正義の味方なんだわ。うすーく期待しててくれればそのうち良いことあるかもよっと。以上、休暇を返上しての解説サービス終了。これ以上は何を聞かれても答えないよん。あと、ここまでの対価として何か冷たい物が欲しいかも?ネコ使いが気を利かせてくれると嬉しいかも?」
人が何百人単位で死んでいるというのに、そんなことを言うのか。
「だって仕方ないし。休暇中だし担当でもないんだし、わたしに出来る事なんてこれくらいよ。これだけでも『越権行為だ』って後でめちゃめちゃ怒られるのよ?報告書も分厚いの書かされるし。まあ100時間もあれば済む話だけど。つーかもう書いて提出して判子もらってきたけど」
どうやら随分と借りを作ってしまったようだ。仕方ない。私は財布をとりだし、アイスでも買ってきてもらおうとする。私が行くと猫達が付いてきてしまうので、申し訳ないが開花に行ってもらうのが一番早い。物理的にも手間的にも。
開花は札をじっと見て何かを考えていた。
バカにするなと怒り出すのかと思ったら違った。
「気が変わった。私の奢りで良いから、私の知ってる店に行こう。そこなら猫も入れるし、お腹も空いたし。夜太君も付いてきて?ちょっと個人的に聞きたいことがあるんだ。ご飯おごるから教えて?」
いや、それはどうだろう。今は私達の会話を静かに聞いているが、学校にいたほとんど全ての生徒が死んでしまったのだ。ショックで食欲どころではないのではないだろうか?
「そういえばお腹空きましたね」
えー
「ふふり。実はこの作戦、人的被害はけっこう少なかったりする。その説明もタダでしてやんから…してあげるから、大人しく付いてきなさい?命令」
少しだけ興味が湧いた私はそうすることにした。夜太もそうすることにしたらしい。
「開花さんに協力してもらわないと成り立ちませんでしたし、説明責任がありますから」
そんなわけで我々は叶開花のなじみの店…動物喫茶ヨモスエに向かうことになった。