第七十五話  触るとまだ暖かい 

「約束の時間は3時ぴったりだったしな。仕方ない」
帰ろうとする私をテレコスピーカーは引き留めた。
「でも、遠方から来る患者にその仕打ちは酷くないですか?そりゃ時間に遅れたあたし達が悪いのは当然ですけど、だから留守って」
沢戸の事を知らなければ当然の反応か。解説が必要だろう。私のためにも、彼のためにも。
「…沢戸はわりと特殊な時間の中を生きているんだ。時走社の社員みたいなものの強制版みたいなものを想像してもらうとわかりやすい。ベクトルは真逆だがな」
それで理解してもらえるはずもなかったので、私は大急ぎでわかりやすい例えを用意する。沢戸の状況を説明するのは本当に難しい。
「奴は時間を飛び飛びに生きているんだ。それも1時間おきとかじゃなくて…強いて言うなら桂馬飛びみたいな形で。だから時間にはとても厳しい。ちょっとでも遅れたら、そもそも存在出来ないからな。今消えていると言うことは次現れるのは1時間後か…それとも明日のその時間か。実際にはもっと複雑な法則があるらしいからそれもあてにならない。待っていたらバスもなくなるだろう。帰った方が無難だ」
しかしテレコもカカリアも頑固だった。
「せめて1時間は待たないと。せっかく来たんだし」
「おああああああぁ!」
たとえ1時間後にエンカウントできたとしても、治療してもらえる可能性は低いのだがなぁ。だがこのまま引き返すのは馬鹿馬鹿しいのも事実だ。頭痛から早く開放されたいとも強く思っている。
待ってみるか。せっかくだし。
私達は礼拝堂の椅子に腰掛け、いつ現れるかもわからない神父を待ち続けた。
ここに現れるとも限らないんだけどな。


しかし神父は現れた…実際には外から教会へ帰ってきた。
「やあ、待っていてくれたのかね。ありがとう」
ありがとうはこちらのセリフだが、実はそういう意味ではなかった。
「もう帰ってしまったのかと思ったよ…これで追いかける手間が省ける」
神父はそういうといきなり銃を抜き発砲した。初弾をテレコが角で弾いてくれなければ危ないところだった。私達は大慌てで教会の椅子の後に隠れ、転がるようにして逃げる。
彼はそのまま全弾一気に撃ち尽くし、持っていた拳銃を投げ捨てた。
「約束を破る不心得者には罰を与えないとな…ふむ。良いだろう、猫殺し。女連れなのは気にくわないが、約束通り治療してやろうじゃないか」
そう言っておいて出てきたところを隠し持っていた銃で射殺するような奴だが、どっちにしろ顔を出さなくては話にならない。不意打ちでなければ何とかなるだろう…多分。
手を上げて二人揃って立ち上がった私達に案の定銃を構えていた神父だったが、にやりと笑ってそれを懐にしまった。
「どうせ撃たれても死なないんだろ?そこのお嬢さんも。こんな田舎で難病に苦しむ私のストレス解消の役にたってくれてもいいじゃないか…ははは、冗談だよ冗談。十和田に聞いたよ。また頭痛が再発したんだって?人使いともまたやり合ったらしいな?相変わらずお盛んなことだ。どれ、本当に見てやるから頭出せ頭」
どうにも信用は出来ないが、本来治療に来たのだ。患部を見せないわけにも行くまい。
私は奴の前まで歩いていくと跪き、頭を差し出した。
「沢戸神父、どうか治療をお願いします」
沢戸は途中までさしだした手を引っ込め、どうしたものかと腕を組んだ…ようだ。何となくの気配とカカリアの視線からなにやら神父が躊躇しているのがわかる。
「んーなんか違うなぁ。猫殺しを相手にしている気がしない。丸くなったとは聞いていたが、本当に歳とったんだなお前」
おそらくは彼にとってはほんの数年でしかない日々の間に十数年の月日が流れたことにとまどいを感じているのだろう。しかし、今更それを私に言って共感を得ようとするような奴ではない。何かを企んでいる…のだろうな、おそらく。
「いやいやこれは年齢とかそんなんじゃない…もっと決定的な何かが欠けているな…そうそう、決定的な何かだ。猫殺しとして当然備わっているべき何か。それが無い。こんな猫殺しは不完全だ」
治療のついでになにかいたずらするつもりなのだなと悟った。逃げ出すべきなのだろうが今回はカカリアもテレコスピーカーもいる。
…甘んじて受け入れるしかないのか。
「そもそも猫使いといったらかわいい女の子とかがなるべきだろう…常識的に考えて。少なくとも見てくれはかわいらしくあって欲しいじゃないか。それがこの姿この形。まだ若い頃はそれでもなんとか見られる範疇だったが、このてかてかしたおっさんでは詐欺もいいところだ。是正せねばならない…誰が?ふむ。この場でできるのは私だけだな。では仕方ない。僭越ながら私がそれをなすべきだろう」
そういうと彼は私の頭を乱暴につかんだ。
邪魔にならないようにと少し離れた位置で見ていたテレコだったが、ただならぬ雰囲気に気づいたのだろう、急いで私たちの元に駆け寄ろうとする。
「ストップ、お嬢さん」
もうすでに私の頭は沢戸の手の内だ。沢戸の能力を知らなくてもこの距離ならテレコがどんな邪魔をしてもやろうとしていることを完遂できるのがわかるはず。
「心配せずとも大丈夫さセニョリータ。これはちょっとしたオプションだ…お嬢さんの頭についている角のような飾りを付けてやろうと言うだけの話さ」
「…どういうことです?」
自慢の角を飾り扱いされたので少しむっとしたようだ。
「おやおや、これは失礼…では言い方を変えよう。お嬢さん…君はこのダンディな猫使いに猫耳を生やしてみたいとはおもわんかね?」
テレコは持っていた音叉(なにに使うかは不明だが、彼女の必殺技『スピーカー』に使用するのだろう…おそらく)を取り落とした。
何かに動揺して、なおかつ葛藤しているらしい。
まさか。
にやりと笑う。
まさかまさか。
テレコスピーカーは親指をぐっと立てて言った。
「やっちゃってください♪」
「ちょっ待てっこらっ!」
二人がかりで押さえつけられた。暴れようにもテレコを傷つけずに逃れる自信がない。
「まあ猫殺し、君の同意は要らないのだがね、実際の話」
「やめろっやめてくれっ!そんな事されたら外を歩けなくなる!」
「大丈夫大丈夫。案外人の目は人外にも優しいよー」
「おあああああああああああああっ!」
「何でカカリアまで同意しているんだ!」
右肩に触れようとする手をブロックされる。
「神父様、右肩が起動スイッチですから気をつけて」
「おお、例の変身機能か。危ない危ない」
「何でばらしちゃうんだ!そーゆーのは秘密にしないといざというとき…」
「まー心配せずともかわいらしいのつけてやるから」
「あたしの角とお揃いになるねー♪」
「ねーよ!」
「おああああああっ!」
「うるせー!」
「はいお注射ですよー」
「やめろー!」
抵抗もむなしく、私はやがて意識を失った。