第三十二話 咀嚼丸その4 (連続34日目)

とはいえ咀嚼丸自身のダメージも相当なものだった。
「何せ二回意識不明の重体になったっスからね、一年で。どっちも直ったからいいっスけど」
しかも、そんなことがあったにもかかわらず、依然として彼は「刃剣」がどのようなモノであるのかをまるっきり知らなかったのだという。
「んー、まあ、変だなーとは思ってたっス。普通の子とは違うんだよなーとは。まあ出会いからしてああですから、そりゃニンゲンと違うんだろうなとは、流石の俺でも思ってましたっスよ」
しかし知らなかったのは事実。そして知らなければ本人を前にしても何を尋ねて良いものかわからないものだ。
だから今も彼は勘違いしたままでいる。
「でもまあ、流石に三度目っスからね…もうわかったっスよ。彼女たちが本当は自分じゃなくて、おたがいを見ているんだって。俺はただのきっかけに過ぎなくて、最初から刻さんは刺さんを、刺さんは刻さんを想っていたんだってね。ただ彼女たちはニンゲンじゃないっスから、剣を交えて語り合うしかなかった」
大体当たり、そして決定的に外れ。もうすでに終わったことなので私はそれを指摘したりはしない。もっと違う出会いなら、もっと違う選択をしていたなら、ひょっとするとひょっとしたかも知れないが…まあ、無いか。
「あーなんとなくわかりますよ、ネコ使いさんの言いたいこと。俺がもしあそこから逃げ出さなければ、もしどちらかを本気で選べていたら、また違う未来もありえたって事っスよね?でもまあ、俺、ガキだったっスから。それに、人の人生を破壊してまで、というのは気が引けましたから。だからこれで良かったんだとおもうっスよ」
むしろ子供らしくない選択だがそれはほぼ満点の回答だった。勘違いとすれ違いぱかりの幼い恋はそこで帳尻が合い、そして消えていった。
もう終わった話だ。もちろん目の前の男は彼女たちとよりを戻そうとしているわけでも、過去を清算しようとしているわけでもない。古い約束のついでに私の様子を尋ねに来てくれたのだ。
「正直玄関先で怒鳴られて追い出される覚悟はしてたっス。フサエさんのことは自分の責任っスし…許してもらえなくても仕方ないと」
別にお前のせいじゃないよ、とは言わない。だが仕方のないことだった。私は黙って彼のグラスに酒をついだ。
「ありがとうございます…こんな風にシロウさんと飲み交わす日が来るなんてなぁ。かんげきだなぁ。ははは」
「むー…良く分かんないです。具体的にはラノベ一冊分読み飛ばした気分です。おじさんとこつにくさんは説明責任を果たしていないです。もっと私にもわかるようにしないと、読者は付いてこられませんよ?プンスカ」
テレコスピーカーはそう言って話に割って入ってきた。夕食後そのまま思い出話を肴に飲み続けていた。テレコは話には加わらずそれを大人しく聞いていた。私もそれを咎めたりはしなかった。彼女にもほんの少しだけ関わりのある話だ。
「いやいや、大体話したことで全部っスよ。これ以上はお兄さんの口からはちょっと言えないっスね…」
「えええ?エロ話?エロ話なの?」
違う。
「お前は明日も学校有るだろ…もう寝なさい。私達ももう少し飲んだら寝るから」
「えー」
大変不満そうな様子。しかしもう夜中の二時だ。半端に改造されているが人間として生きていくしかないのだから、刻や刺のように何時までも中学生というわけには行かない。
「一回や二回遅刻したりサボったりしても平気だよぅ」
一回や二回じゃないからそう言ってるのだ。
そう言って叱るとテレコスピーカーは渋々と自分の部屋に引き上げていった。去り際に「後で何があったか教えてね?」とグナイに話しかけていたが、それは無理だろう。テレコに猫の言葉はわからないだろうし、グナイは夜のパトロールに付いていくはずなのに何時までもうつらうつらしているからレベッコに叱られた上で置いてきぼりにされたのだし。もうすぐこの黒くて小さな猫は睡魔に勝てずに寝てしまうだろう。
「さて、邪魔者も消えたことだし本題に入ろうか…あーそこの戸の影で聞き耳を立てている人。そこにいる限り私は一切何もしゃべらないから」
戸の向こうから「ちぇー」という声と、客間へと遠ざかっていく足音。どうやらテレコは今度こそ客間に帰ったようだ。
「…待たせたな。本題だ。明日二人に会うというなら…これを持っていくか?」
私は蒼々を咀嚼丸の前に突き出した。人に貸せるようなモノじゃないが、咀嚼丸とかわいい二人の妹のためになら斬も許してくれるだろう。
咀嚼丸は以前も蒼々を使ったことがある。恐らく私より旨く使いこなせるはずだ。むしろこの間の失敗はシロウトであるはずの咀嚼丸が最初からそこそこ使えていた事から来る勘違いだったのだ。
「いや、遠慮しておくっス」
咀嚼丸はそれを突き返した。
「もし同時の真相がさっき自分が話したとおりだと信じているなら…必ず必要になると想うのだが?」
しかし骨肉は譲らなかった。
「それを使うのは反則っスから。それに、自分で言っておいてなんですけど、多分刃傷沙汰にはならないっスよ」
普段の二人ならそうだろう。だが今はまた少し事情が違う。
「ああ、お気に入りを巡って自分の時みたいにケンカしてるって件っスね?だったらなおさらっスよ」
そう言って彼は笑う。
私は仕方なく蒼々を引っ込めた。


翌朝、案の定遅刻ギリギリで家を飛び出したテレコスピーカーを見送ると、骨肉咀嚼丸はそのまま出立した。
「徒歩であそこまで行くのは厳しいっスけど、まあがんばってみるっス」
服はスーツから登山服に着替えてある。足も登山靴。どう見ても十数年前の恋人に会いに行くという格好ではないが、仕方ない。
私も同行しようと提案したが、却下された。死なれると家に残ったスーツの始末に困るが、斬にも釘を刺されていたので諦めた。猫達を数匹護衛に付けるのも考えたが止めた。
だから以降の話はテレコを何となく護衛する役を担っているヤマダデのチーム、最近遠出できるようになったナゴナ、それを見守るストー、山で暮らしている野良猫(あの山は山猫や虎にだって住むのは難しいだろうと思うのだが、「案外快適でござる」と言っていた。餌は刃剣姉妹が与えているらしいが)達から後で聞いた話だ。
つまり私は気付かなかったのだ。
このイベントは過去から来た亡霊ではなく現在進行中の出来事なのであり、テレコスピーカーは部外者どころか関係者、むしろ中心人物の一人なのだと。
私が二度寝をしようと寝床に付いた頃、彼女は学校から山に向かって全力で走っていた。