第六十七話 先生 (連続73日目)

アケボノ、と紹介された。
イシイよりほんの少し大きいだけの、小柄な猫だった。どう考えてもアンテナ役がせいぜいで、前線に出て戦う猫ではなかった。
私達の話を聞くと彼もまたすぐさま私達の仲間に入りたがった。
そこで断る事も出来たはずだ。リンク自体は仕方ないにしても、言葉だけでも断っておけば、むしろ無理にでも公園にとどまるように命じていれば、こんな事にはならなかったはずだ。
そもそも七目高校に行こうとしなければ。
行くにしても、イシイだけ連れてさっさと校舎だけ見て帰ってくれば。
アケボノは死ななくてすんだのだ。
欲張って夜太のことまで調べ上げようとした結果がこれだ。
アケボノを埋め終わったあとも私はそんなことを考えながらいつまでも愚図愚図していた。
猫が死ぬのはこれが初めてではないが今年に入ってからはこれまで一匹の犠牲も出していなかった。このまま一年を過ごせるなどと甘えたことを考えてはいなかったが、こんな形で最初の犠牲を出すとも思っていなかった。
ショックすぎて声をかけられるまでそれに気付かなかった…と言うのは言い訳だろう。
私はまたしても迂闊だったのだ。


「そんなに自分を責めるものでもありませんよ」
僕は先生に声をかけられた。
そうか、と僕は理解する。七目高校は先生の出身校だ。一度用があって七目高校自体にも行ったことがある。僕と知り合ったとき、僕はすでにネコ使いで、彼は学生だった。
お互いに同じ能力を持っている事に驚いたものだ。
位相の壁のせいで僕は彼をたった今まで失念していたのだが、かつては親友同士だったのだ。そりゃ、既視感の一つや二つ、出てくるだろう。
「しかし、その気持ちは大事です…弱き者を失った悲しみ。救えなかった悔しさ。弱者の命を奪う者への怒り。それがある限り、私達は親友です…さあ、邪魔な位相は全て取り払いました。いまこそ、私達の理想を実現するときです」
先生と僕はかつて全人類の保護を目指していた…いつまで経っても愚かな争いを繰り返す人類。地上から悲しみを一掃するために、誰かが何とかしなくてはならない。
その誰かとは先生だった。
先生はたった一人で全ての人とリンクして、その命を管理しようとしているのだ。
「思い出したようですね、シロウさん。私は保身のためにこんな馬鹿げたことを始めたのではない。全ては人類の絶対平和のためです。しかし、私だけでは全ての人を救えない。物理的に不可能です…そんなとき、私達は出会った。同士よ、今こそ再び立ち上がりましょう」
僕は立ち上がり、先生と固い握手を交わした。
「すでに私達の住む地域とこの地域は完全に私の支配下に置きました。犬使いもすでに同士となっています。これだけの戦力があれば無敵です…あとはあなた次第」
先生の言うことは正しかった。
先生の言うことは絶対だった。
先生の言うことは守らなくてはならない。
先生の言うことには絶対服従するべきだ。
先生の言うことに従うのは僕の喜びだ…
って何だこれは。


私は大慌てでその男の手を振り払った。
人使いとのリンクが出来かかっていたのだ。危ないところだった。
位相差が取り払われたなんて話も、かつての親友同士という話も嘘だった。確かに七目高校には既視感がある。あった。何故なら、かつてここで私と彼は激しく戦ったからだ。
人使いは振り払われた手をぼうっとした目で見ていたが、やがてにやりと笑った。
「やはり予測通り、同じ能力者には無効のようですね、猫殺し。巧く懐柔出来ればと思っていたのですが」
私はすでに知っていることをあえて尋ねた。
「どうやって位相の壁を超えた?」
「もちろん書き換えたのです…時走社の力は純粋な技術です。技術なら知ることが出来るし、設備さえあれば誰にでも出来る。私達にとっては設備さえ必要ない。知ってますよね?猫殺し。わかっていることを何故聞くのです?」
確かに方法はいくつかある。身も蓋も無い言い方をすれば犠牲を考慮しなければなんでも出来る。…その犠牲の途方も無さに呆れただけだ。本来怒り狂うべきなのだろうが。
「哀れなシロウさん。このまま滅んで満足なのですか?リンクはどうしても自動発生し、使おうが使うまいが使われるものは死んでいき、能力を押さえれば押さえるほど私達の寿命は削られていきます…これは生まれ持った力で、自分ではどうしようも出来ないものです。ご存じのように。魔法ですらこの力の前では無力だ。確かに迷惑な話です。他の生物にとって私達は天敵と言っても過言ではないでしょう。でも、だから、自らを滅ぼす?馬鹿な。自己犠牲も程々にしてくださいよ」
私は猫達の無事を確認する。良かった、強引に支配権の上書きでもされていたら問答無用でこの場にいる猫達は3時間後には全滅だ。私はギリギリまでリンクを強化し、前回やり合ったときには意味のあったプロテクトを生成する。これで猫達自体に人使いのリンクが届くことはない…はずだ。
同時に猫達の感覚を借りてこの場をサーチ。公園内にいるのは確認できるだけで5人。近くにアンテナ役が当然居るだろうから、数の差は全く意味を成さない。むしろ人間の方が容量が多い分、そして向こうは全く手加減しないのでそれも含めて、絶対的に不利だ。フルリンクしてもやられるだろう。
「私達は生まれてきたのです。この世に、望まれて。そうでないにしてもだからどうだというのです?私達には生きる権利がある。あなたのような惨めなやり方ではなく、全ての力を使い、それを自然に生かす形で。何故それをしない?マゾなんですかやっぱり?」
やっぱりってなんだよ。
「昔はそうではなかった…私とやり合った頃の猫殺しはただ単に『むかつくから』という理由だけで私に挑む、バカで愚かで享楽的で、そして自由な存在でした。どこで知恵の実を食べたのです?あの時は刃剣の姉妹に酷い目に遭いましたが…ああ、もちろんその仕返しというわけではありません。私は解って欲しいだけです。そしてその賢い状態のまま昔のように自由になって欲しい…そうでないと、なんだか悲しい。それだけです」
わざわざ口で言わなくても彼の考えている事はわかっている。
彼にも私の考えはわかっている。
先ほどの失敗したリンクの間に私達はお互いの全てを知った。
わざわざ発声するのは本当に説得したいからだ。…ここまでは。
私は…諦めた。
自分が自由になるためだけに学校一つ丸ごと犠牲にするような奴とは共生出来ない。
人使いはメガネを取り出して掛けた。伊達眼鏡だが、心理的なスイッチを入れるための儀式だ。ここからの彼は本気だ。
「どうあっても敵対するのですね…残念です」
違う。出来れば関わりたくないだけだ。私の前から消えてくれれば私は何もしない。
「不可能です。私は私である限り私の居たい所に居たいだけ居る。それが自由というものです。あなたの視線を避けて生きるのは不自由じゃないですか?」
「そのための位相」
「せっかく自由になれたばかりだというのに?」
「このまま放っておけば時走社達が巧いこと隔離してくれるさ」
「そしてまた学校を一つ潰せと?酷いですね、猫殺し。やはりあなたは偽善者だ」
「お前は自由に生きているつもりだろうが…それは単に犠牲を考える事を怠けているだけだ」
「考えてますよ?私も。出来るだけ少ない犠牲で全てを知りたい。つまるところ、あなたと同じ欲望が私の原動力です」
こんな風に言い合ってももう意味はあるまい。
どうする…フルリンクでなければ目の前の男には対抗できない。対抗すれば犠牲は増える。だからといって無抵抗でいる訳にも行かない。
いくつかの手段を考えてはいたものの、それはすでに向こうも承知している。向こうの手だてもこちらは知っているが、犠牲を惜しんでいる限りどうにも成らない。
イシイ、ミミナシ、オトコマエ、フォト、ナスノ、キザクラ、サクラフブキ、イクサ、ダスト、そしてクリエイトを初めとした入ったばかりの猫達…みんな、すまん。
私は覚悟を決めようとした。
しかし、その必要はなかった。
ここぞというタイミングで最大最強が降ってきた。