第七十話 平和 (連続76日目)

追試も補習も無かった。テレコスピーカーの夏休みは無事に始まった。
追試も補習もあったが、刻と刺の夏休みも特に問題なく始まろうとしている。
追試も補習も関係ないが、私の夏休みはもう終わっている。
「あー夏休みのー宿題がーーゆーるーゆーるーとーしーかーすーすーまーなーいーいーぃー」
目の前の小学生みたいな中学生中身おばあちゃんはついに強制夏休み中。
「本来一瞬で終わるはずの事が時間を贅沢に浪費することによってしか形になっていかないっ!じれったい!もったいない!体感的にはタイムマシンに乗ってる気分だよ?なんでみんな早い時間の流れに対応できるの?マゾなの?」
どうやら一日1万時間の残業とかがしたくてたまらないようだ。そちらの方がより嗜虐的だと思うのだが。
「時間の外側で作業してるとさー、ある瞬間からじわじわと、『ああっ若返っているっ!』って感じがして、快感なんだよねー」
だから強制夏休みになるのではないだろうか。
暇つぶしなら十和田の研究室に行けばいいと言うと、「このクソ暑いのにこんなちっちゃなおんなのこにあんな遠くまで歩けと?自分の足で?サドなの?ドSなの?」などと言い返してきた。
「そもそももそもそ、わたしは先輩の家で一緒に宿題をしようって思ってやって来たのに…まさか労働基準法違反の現場を目撃することになるとわ。中学生に働かせるなんて!おばあちゃん悲しいっ。通報しようかしらっ。ヒント:涙は甘くて冷たいもので購入可能です」
家のお手伝いくらい中学生でもすると思うのだが、面倒なので特売の日に買い込んだアイスを提供してみた。
「わーい。でもラムレーズンよりチョコミントが良いなぁ」
うるさい。黙って喰え。
「おじさん、伝票はこんな感じ?」
昨日からテレコスピーカーが主に事務を手伝ってくれている。
本当はマネジメントをしたいようなのだが、猫の管理は私がやった方が早いし、顧客との交渉も私が直接やらないと色々と面倒なことになる。となると、事務仕事と来客対応くらいしか仕事がない。わざわざ私の家までやって来て仕事を頼みに来るのは相当おかしな人達なので、実際には事務仕事しかない。
「ああ、それで良い。どうせ猫缶だの猫砂だの動物病院の治療費だのは経費として認めてもらえないからな。私に掌握できるようにまとめてくれればいい」
税務署的には私の仕事は探偵事務所の亜種ということになっている。つつけばいくらでもボロが出る状態なのでいつも確定申告の時期は苦労する…だが、猫による情報収集にいったいどれくらい経費がかかるかを知っているのは私だけなので、その辺はいいかげんにならざるをえない。正確な数字を並べても認められないし信じてもらえないし。
まあそれはともかく。
当面の危機は去ったのでネコ使いの仕事は実に平和なものだった。学校施設の観察は一応続けているものの形だけのものになりつつある。夏休みだし。各種位相の壁は逆川小夜が今度は本当に引っ越していったのでほとんど無くなってしまった。夜太と共に七目高校に通うことにしたらしい。おかげで一気にこの地域の探索可能領域が広がった。人手、いや猫手は足りないが、だからといって猫を増やすわけには行かない。連日真夏日が続いているので猫達も消耗しつつある。だがそれほど困ってはいない。今日辺りからいつものパトロールを地域全体ではなく部分ごとのローテーション制に変え、時間も短くしようと思う。それでなんとか凌げるはずだ。
名称不確定の秘密結社はモザイクキャンセラーに次ぐ新アイテムで何かをたくらんでいるが、不発に終わる可能性が高い。その他の作戦も今ひとつだ。しかしニクキュウはテレビを見る限りでは元気だ。
実に平和だ。
もう一度夏休みを取りたいくらい、平和だ。
あまり平和だと私の商売は成り立たないが、こんなに毎日暑くてはどうしようもない。しばらくは縮小営業としよう。



郵便ポストに妹からの小包が届いたのはそんな時だ。
猫達が気付かないタイミングで直接届けに来たようだ。せっかく来たのなら顔を見せてくれても良いのにと言いたいところだが、猫アレルギーなのだから仕方あるまい。
むしろわざわざ何故届けに来たのかが気になる。
包みを開けると中身はなんのことはない、ただのお中元だった。コーヒーのセット。名前以外何も書かれていないのと、時期的にそれ以外無いだろう。結婚式のお祝い返しかも知れないとも思ったが、そういえば未だ何もしていない事に気付いた。式には行けなかったしお金は送ってもそのまま送り返されるしで、どうしたものかと気になってはいたのだが。
しかし24時間猫達が見張ってるのに、よくこんなものをポストに突っ込む隙があったな。
私の妹でもあるし、実は猫の意識を逸らす能力とかが有るのかもしれない。私は一度もそんなところを見たことがないが、二十歳を超えての能力開眼はそれほど珍しいことでもない。何かその手の力に目覚めたのだろう…
時走社社員になったと考えるのが自然なような気がとてもするが、まさかあれほど嫌っていたこの業界に自分から足を踏み入れるとか、そんなことはないだろう。ありえない。ありえないが、ひょっとしなくても真夜中にうろうろしていたフルフェイス女は妹だったのか?
確認しようにも妹の新居の住所も電話番号も教えてもらえてないのだった。


せっかく教えてもらった夜太君のメアドと携帯番号だが、掛ける用事もなくてしばらく放って置いた間にいつの間にか不通になっていた。これは新たな位相差が出来たのか…それともやはり刻や刺に早くもそれをかぎつけられたのか。ちなみに私は誰にも教えていない。私のせいじゃない。


平和すぎて書くことが何もない。
斬も十和田も暇そうにしている。
ネモトさんも順調に正義の味方している。
それでも毎日のように罪もない人々が理不尽に死に続けている…が、それは私の担当ではない。
平和だ。
そして、やたらと暑い。
この間生死をかけた戦い(結局戦わなかったけれど)があったばかりだというのに、私は早くも緩み始めていた。
あの日から小さな頭痛が続いているし、レベッコの回復は遅れているし、ごく些細な記憶違いが増え始めていたけれど私はなんでもないと思っていた。
まだまだ私の死ぬまでの暇つぶしは続くと思っていた。
そんなはずないのに。