ネコ使いの憂鬱

 ネコ使いの朝は意外と早い。
 ネコたちのご飯を用意しなければならないからだ。
 私のネコたちは非常に良く訓練されているのでほぼどんなことも出来るが、何せネコなのでネコ缶を開けることが出来ない。だからこれは私の仕事だ。
 私が百枚近い皿を用意し缶を開け始めると、スンタリーが新聞を投げてよこした。今日の朝の当番は彼女だったようだ。まだ眠いのを我慢しているのでとても機嫌が悪そうだ。
 スンタリーは右前足以外は見事な黒猫で、しかも胴が妙に長い。だからスンタリー。本当は一匹一匹のネコに名前を付けると情が移りすぎてしまうのであえてコードで呼ぶようにしようとしているのだが、どうしても初めて見たときに名前を付けてしまう。そしてそれを一生忘れることが出来ない。良く訓練されているのは実は私の方なのかも知れない。
 「おいでスンタリー」
 スンタリーは機嫌の悪いままするすると私に近づき、よこせとばかりに一声小さく鳴いた。彼女は良く締まった健康的な肉体を持っているのに、その声はとても小さく、かすれている。前はそうではなかった。そうでなかったときのことを思い出すととても悲しくなってしまうので、私は過去を振り返るよりも皿に缶の中身を空けることに集中した。何せ催促されているのだしな。
 がつがつと食べるスンタリーの頭をなでてやりながら、私は朝の町の様子を聞いた。
 「に゛ー」
 「え、まだパトロールに行ってないのかい?」
 「に゛ー」
 「寝坊したのか。仕方ないな。これを食べたらすぐ行くんだよ?」
 「に゛っ」
 「こらこら。行かないと私はともかく、レベッコにまたしかられてしまうよ?」
 「に゛に゛?」
 レベッコの名を出したとたんに、スンタリーの様子が変わった。ぴたりと食べるのを止め、辺りを探るようにきょろきょろとしている。よほど恐れているのだろう。そんなに怖い娘ではないのだがなぁ。
 しばらく皿を見て葛藤していたようだが、結局ご飯を諦め、パトロールに出かけることにしたようだ。
 「に゛っ」
 「ああ、行っておいで、スンタリー。他の班の子たちには旨く言っておいてやるよ」
 スンタリーは返事もせず、くるりと回って走り出した。今から行っても他の朝当番達とは入れ違いになってしまうので、どう言いつくろってもばれてしまうのだろうが、それでも行かないよりはマシだ。
 あとはレベッコがきつく叱りすぎないように注意しておかないとな、と私は手帳を取りだし、自分にしか解らないであろう記号でこの件をメモした。100匹近いネコの管理はとても大変だが、不思議と苦痛に感じたことは一度もない。
 ついでに軽くメモの整理をして居ると、早起きなネコたちがぞろぞろと台所にやって来た。
 あわてて私は缶を開け皿に盛る作業を再開した。
 ネコたちは口々に主人の怠慢を批判したり私の日々の労働をいたわり同情したりただ単に催促したりまだ寝ぼけて訳の分からないことを言ったりした。しんと静まりかえっていた台所が一気ににぎやかに、いやむしろ騒がしくうるさくなった。これでもまだ十数匹が集まったに過ぎない。めったにないが、全員揃ったときは近隣の住民が警察に通報する程度の騒ぎになる。ちなみに二回ほど厳重注意されている。今度やらかしたらまた引っ越さなくてはならない。
 いちおう私のネコたちは非常に良く訓練されているので、一言命令すればまったく無音で全ての行動を成すことが出来るのだが、いつもいつもそうさせるわけには行かない。何より食事の時間くらいは楽しく過ごして貰いたいではないか。過酷な任務がこれから待っているのだから。
 ネコ缶を洗い、ビニールに詰め、口を縛って表に出す。毎日大量に出る缶は契約した業者が定期的に回収してくれることになっている。何せ量が量なので、市の資源ゴミ回収では追いつかないのだ。
 それが終わるとレベッコ、キャラウェイ、サルーの三匹が現れ、夜の間のパトロール成果を定期報告してくれる。レベッコは顔の大きなペルシャ系の雑種、キャラウェイは少し柄の汚い小さな三毛猫、サルーは微妙な柄の無駄にでかい虎猫。いずれも夜の町のスペシャリストだ。ネコたちの活動は主に夜が多いので、私の代わりに普段の夜のネコたちの管理をしてくれている。仕事となれば私も一晩中彼らをフルに操ることになるが、そんなときでもこの三匹はリーダーとしてよく頑張ってくれている。彼ら無しに私のネコ使いとしてのキャリアはありえなかったと言えよう。
 キャラウェイ、サルーは事務的に最小限の伝達だけで退散したが、やはりレベッコは延々とネコたちの規律の不徹底について私に意見し続ける。親のレベッカを失ってからレベッコの規律重視はますます酷くなっている。少し休ませた方が良いかも知れない…だが、代役を立てると多分彼女は傷ついてしまうだろう。困ったものだ。
 


 朝食が終わると、今度はトイレの掃除が待っている。なんせネコの数が数なので、かなり大変な作業だ。消臭剤が今ひとつノーパワーだった頃は、何度もこの仕事を辞めようと思ったことがある。体質なので止めようがないのだが。ファブリーズ有り難う。有り難うファブリーズ。
 その様子を子猫たちが面白そうに眺めている。きつめにしつけてはいるものの、なんせネコなので何匹かは足下をじゃれついて離れない。まったく砂を取り替えて洗って干してファブリーズぶっかける作業の何処が面白いんだか…まあ単にかまって欲しいだけなのだろうけど。
 ちなみにネコ砂も定期的に業者が引き取りに来る。エサは毎月トラックに満載した奴が倉庫に搬入される。近所でも評判のネコ屋敷になるはずである。私はただ静かに暮らしたいだけなのだが。
 

 朝の作業が終わり一息ついた頃にいつものように悪の秘密結社から定期連絡が入った。
 私は別に正義の味方ではないが、だからといって悪の秘密結社の幹部というわけでもない。組織の一員ですらない。彼らにとって、私はただの臨時雇い、すなわちアルバイトだ。ネコ使いは非常に普通の職業に就きづらい。何せ何をしていてもネコが寄ってくるのだ。一匹二匹なら営業として人気が出るかも知れないが、10匹100匹、場合によっては1000匹を超えるネコに取り囲まれたらどんな商談も不可能だ。
 そんなわけで、私の収入源は自然とこういったものが多くなる。普通に働きたい気持ちはずっとあるのだが、それを許す社会になるにはとても時間が掛かる。私が死ぬまでの間に革命が何度でも起こらない限りまず無理だろう。
 秘密結社の依頼は特になし。(正直、少しほっとした)ただし、幹部の一人が私の噂を聞きつけ、会いに来るそうだ。目的は私ではなく、おそらくはネコたちだろう。なんか女性だし若そうだしかわいいもの大好きオーラ出てるし。またいつものように何匹か貰われていくことになるかも知れない。大抵は手がつけられなくなって戻ってくることになるのだが。
 私のネコたちはとても良く訓練されてるので初めのうちはちゃんとおとなしく新しい主人に媚びることが出来るのだが、何せネコなので3日もすると全て忘れて普通のネコに戻ってしまう。その普通になった状態を愛してくれればいいのだが、悪の秘密結社なぞに身を寄せる娘なので、そうは行かないようだ。大抵きっちり4日目には戻ってくる。
 ネコたちが消耗するので出来れば避けたいのだが…こちらは雇われの身。強く言われるとどうしても断れない。
 私は鬱屈とした気持ちで手帳を取り出し、例によって自分にしか解らない記号でこの件を書き留めた。今日も大変な一日になりそうだ。