第18話 有香空間 (連続20日目)

昼食が終わるとナゴナは逃げるようにまた何処かへと遊びに行ってしまった。実は適当な大人猫が彼らのような無軌道な若猫の冒険を影ながら監視しているので、それほど酷い目にあったりしないだろうが…早速登ろうとしていた塀から落ちる辺り、やはり少し心配だ。
いや、ここは若い癖に私の心配をして一緒にランチを摂ってくれたことに感謝するべきなのだろうか。ネコ使いでなくても『ぼくはこのにおいがすんごいきらいだけど、うくきをよんでごはんをたべてます、にゃわわわわわっ』と言う感じなのがまるわかりだったのだし。
ナゴナと入れ替わりにテレコスピーカーが帰ってきた。角はもう天を突く勢いでギンギンに伸びきっている。興奮しているらしい。鼻息が荒い。
「来たよ買って!」
そう言うと、両手に各種脱臭剤が満載されたスーパーの袋を見せてくれた。朝から何件も回って買ってきたようだ。
「許せないよね?この匂い。ちゃいました、だから勝手ですけど買って来。キニスンナ!あたしの自腹ですけど!それよりこの匂いを止めてくれ!いや、わたしが止めてみせる!」
そう一気に言い切ると両手にフ○ブリーズ持って緑の小山に駆け寄る。なんだかノリノリだ。セリフをテレコにするのも忘れている。
「ふはははは、汚物は消毒だぜー…ぐっ近寄るとさらにきっつい!きっつすぎるスメル!この、物が腐敗したとかと違うなんか身体に悪そうと言うか地球に優しく無いというか、これ以上は命に関わるんじゃないかと思わせる闘気の如き臭気!許せる!もとい!許せん!女の子ちゃんとしてこれは許せん!なので汚物は消毒だぜーふははははは」
そしてそれに向かってしゅーしゅーと消臭剤を吹きかけ始めた。
現場を保存しろと言われたので律儀にそのままにしていたのだが、確かにこれは許し難い匂いだ。出来れば手を打つべき。ファブリーズ如きでどうこうできるレベルではないものの、何もしないよりは良いだろう。
私も両手に脱臭スプレーを持って、テレコに協力することにした。
「おっおじさんも?じゃあこう構えて…『お前の匂いを止めてやる!』」
随分と懐かしい事を知っているなぁ。ブックオフとかで立ち読みしたんだろうか。
「あっ!何ふつーにシュッシュしてるんですかっ!こうですよこうっ!『お前の匂いを止めてやる!』」
いや、だからそんな恥ずかしい格好出来ないって。
「ばかもーん!やってくれないとあたしも恥ずかしいじゃないかっ!」
「えー」
「じゃあ行きますよっ!リピートアフターミー!さん、はいっ『お前の匂いを消してやる!』」
仕方ないので付き合うことにした。
「『お前の匂いを消してやる!』」
「あははははは、やればできるぢゃんっ♪じゃあ次は…『その匂い、神に返しなさいっ!』」
「『その匂い、神に返しなさいっ!』」
「『このボタンはこの匂いを消した記念だ!』」
「『このボタンはこの匂いを消した記念だ!』」
「『ふはははは、汚物は消毒だぜー』」
「またそれか…『ふはははは、汚物は消毒だぜー』」
「『俺が匂いに負けたんじゃない!負けたのは×××だ!(商品名は伏せてみました)』」
「『俺が匂いに負けたんじゃない!負けたのは×××だ!(商品名は伏せてみました)』」
「『ああん、焼肉してたのがばれちゃうー(;´Д`)』」
「『ああん、焼肉してたのがばれちゃうー(;´Д`)』」
「それにしてもきっつい…心が折れそう…でも負けないっ!なぜならっ!『ジロン・アモスは女の子ー!』」
「いや、男だろ」
「『ふはははは、汚物は消毒だぜー』」
「またそれか…」
「『お前の匂いを消してやる!』」
………
……


数時間後。
「…今起こったことをありのままに言うぜ…『どんだけ掛けても匂い変わらない』何を言ってるのかわからねーだろうがあたしにもさっぱりわからねー…あたまがどうにかなりそう…催眠術とか超スピードとかそんなちゃちなもんじゃねぇ…もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ…」
そう言ってテレコスピーカーは居間のソファに棒のように伸びた。前のめりではあるが、それは間違いなく敗者の姿だった。角もなんだか萎れ気味。
結局、どれだけシュッシュしても匂いは消えなかった。そもそも消えるような種類の匂いではないのだろうし、なにより匂いの元が有る以上一時的に匂いを消してもすぐに元に戻ってしまうのであった。
「あー意味無かった…おじさんも、変なことに付き合わせてごめんね?」
いやいや。むしろ家主が率先してやるべき事だろう。
「疲れただろ。匂いも酷いし、風呂にでも入ってこい」
「いやー…たぶん入っても無駄なような。だって家にも匂い充満してるし…猫ちゃん達がいないの、そーゆーことだったのね…」
うつぶせに倒れたままテレコはさらに続ける。
「あー早く鑑識の人が引き取ってくれないかなー」
「ここまで酷いと魔法の力でもないとちょっとどうしようもないな…」
私は再度この怪物達がせめてきたときのことを想像して身震いした。戦闘はどうにかなっても、毎回これではどうしようもない。引っ越すしかないかも知れない。
「そーですねー…魔法の力。必要です」
「そういえば今、ここに、魔法使い居るなぁ…」
「居ますねぇ4人も…助けてくれませんかねぇ…」
「ぶっちゃけ居間、すなわちここに居るみたいなんだけどねー。形跡から見ると」
「こうまで言っておねだりしてるのに動かないところを見ると…この匂い、気にならないんですかねー」
「そうだねぇ…きっと全然平気なんだろうねぇ…」
なんて言ってたら電撃を喰らった。
怒ったのか。
少し焦げ臭くなった私達の上に、一枚メモ用紙が舞い降りてきた。
『魔法にも出来ることと出来ないことがあります』
それにはそう書かれていた。絶望だ。


それからさらに数時間。
鑑識班が散々文句言いながらも緑の死体を持っていってくれると、辺りはウソのように悪臭が軽減されていった。
我々は急いで庭と家中をもう一度脱臭スプレーを持ってかけずり回った。良かった。なんとか匂いは取れ始めている。
それと同時に猫たちが帰ってきた。パトロールの報告にすら現れなかったのに、現金な奴らだ。ちなみにナゴナは何度もトライアンドエラーを繰り返し、そしてついに諦めてふて寝していた。少年の今日の成長はここまでということらしい。
帰ってきた猫たちは一斉にご飯を要求した。朝も食べずにずっと出かけていた子も多いのでいつもよりその要求は強い。
私とテレコ、そして珠音と交代した珠沙とで手分けしてネコ缶を開封して回った。カリカリは悪臭を吸ってどうしようもなくなっていたのでもったいないが捨ててしまった。
「ところでテレコスピーカー。質問」
珠沙はテレコに尋ねた。
「今日は文末を文頭に持ってくる独特のしゃべり方をしない。何故」
「あっ」
どうやら本当に忘れていたようだ。
「しゃべっていたよっ!どうしよう、またまたふつうに」
どうしようもなにも…普通にしゃべれるなら普通にしゃべればいいのに…
「あーそうですけど、やっぱキャラ弱いかなーとか…」
いや、その角でめちゃめちゃキャラ強くなってるから。
「『スピーカー』の能力に関係ないなら、円滑なコミュニケーションの為に通常会話するべき。常考
そう言えば珠沙も独特なしゃべり方をするのだが、自分のことは良いのだろうか。
「まーホント言うと自分でも時々混乱しちゃうから普通にしゃべった方が楽だし、『スピーカー』の能力とも無関係なんだけど…ううむ。どうですか、おじさん。ふつーにしゃべった方が良い?そっちのがかわいい?」
後者の質問は前の文とまったくパラレルだと思うのだが、めんどくさいのでこう答えた。
「まあ、そうだな」
するとテレコスピーカーは「てへっ」と笑い、
「かわいいって言われちゃあしょうがない。おじさんのために普通にしゃべろうじゃないですか」
そしてウインクしながらサムズアップ。いぇーい。
…なんだかよくわからん。
しかし何やら機嫌が良くなったようで、萎れがちだった角がまたいつものようにぴょこぴょこ動き出す。子猫たちは早速超反応。ご飯を放り出して早速それに飛びかかろうとする。反射的にネコ缶を投げつけたくなったが、自重した。
「…その角。ずっとしまっておく訳には行かないのか?」
私は代わりにそう言った。確か最初は角は隠してあったはず。このごろは遠慮なく伸ばしているが、何時までもハウスルールに反する行為を咎めないのは拙い。
「うーん…牛の角を溜めて殺す、とか言うじゃないですか。実はそんな感じで、ずっと溜めておくとストレスで死んじゃうみたいなのね…だからちょっと無理かなぁ。それともおじさん、あたし殺したい?」
さらっと凄いこと言った。
「…前も言ったが、その角を動かすの止めないと、殺したくなるかもな」
冗談めかしてさらっと言ったつもりだが、何故か目を見開いて驚かれた。一瞬だけ。
「そっか。そうだよね。うん。自重します」
せわしなく動き始めた角はまた萎れだした。スーパーお遊戯タイムが終了したので子猫たちは食事に戻った。
少し可哀想だが、昨夜のように子猫を危険に晒すわけには行かない。
「ふーん。なるほど。理解」
珠沙は俺とテレコスピーカーを交互に見て、そう言った。