第三十話 咀嚼丸その2 (連続32日目っぽい)

そんな名前ではあるが骨肉咀嚼丸はごく普通の中学生だった。
骨肉はともかく、咀嚼丸の名は剣道というよりは剣法に魂を奪われた彼の父親が付けたのだという。若き頃に一度だけ見た達人の業物の名前をもらったのだ。
もっとも、彼が物心付く前にそれがうろ覚えによる誤字だったことが判明してしまうのだが。
「その日も名前のせいでいじめられてたんスけど、帰ってきたら親父に土下座されたっスよ。『すまん、間違えた』だって。しかもどれと間違えたのかについては絶対教えてくれないんスよ。恥ずかしいからって。後にも先にも親父を殴ったのその時だけっスよ」
この国の法では間違えたからといってほいほい名を変えられるものでもないので、この時より何処かから名前を借りてきた咀嚼丸は真の意味でオリジナル咀嚼丸となった。クラスの誰よりも早い大人への目覚めであった。
そんなこともあったので、中学に上がる頃には咀嚼丸は少々グレていた。少しばかりまわりの友達よりも成長が早かったためイジメっ子たちともいつの間にか立場が逆転しており、所謂不良ではなかったものの彼のクラスの裏のリーダー的存在として君臨していた。ヤンキー予備軍達も一目を置く咀嚼丸さんってわけだ。
「そうそう、あの時まではちょっともてたりもしたっスよ。一年の時はガチでバレンタインでチョコとかももらったっスよ。思えばあの時が人生で一番輝いてたなぁ…あの日に帰りたい」
しょうもないようだが普通のもてたい盛りの男子というものはそういうものである。
そしてその日。
多少遅刻した程度では進級に響かないしどうせ地元の高校に行くしかないし高校出たら働くしかないといったことを早すぎるタイミングで知ってしまっていた彼は、今日も遅刻ギリギリタイムであるにもかかわらず歩いていた。内申書はともかく、まだ必死こいて走らなくても先生や委員長に多少怒られる程度なのは知っていたのでのんびりしたものだった。
「このままサボろうかなーなんて、その時までは思ってたんスよ。ああ、もうちょっと急いでたら、アレにぶつかることもなかったのに」
後の祭りである。
塀の向こうから、『あちゃー!遅刻遅刻!復学初日から遅刻なんて超ヤバイって感じだよねー!』と言ういかにもテンプレ臭い叫びも聞こえていた。むしろこのまま角でぶつかってやろうか、そんな風にも思っていた。
「まあ、それが間違いだったわけっスけどね」
そしてお約束通り角でぶつかった。
「期待はしてたけどまさか本当にぶつかるなんてなぁ、はははは、なんて思ってたっスよ。ホントあの頃の俺はバカでしたっスから」
声で女生徒なのはわかっていた。『あいたたた…君、大丈夫かい?怪我はない?』という、いかにもなセリフも用意していた。状況はまったくもって[遅刻寸前にパンをくわえた女生徒とぶつかるフラグ]そのものだった。
ただしいくつか違う点があった。
ひとつ、くわえていたのはパンではなく、日本刀っぽい何かだった。
ひとつ、彼女はそれによって口をマペットのように真っ二つに裂いていた…そして多分死んでいた。
骨肉咀嚼丸の寝ぼけた頭はその瞬間、ものすごい勢いで回り始めた。
…ちょっと待ってくれよそりゃお約束的期待はしてたけど別にわざとぶつかったわけじゃない、だからこれは俺の責任じゃ無いっスけど、なんですかこれ?何なんですかこれ?なんで女の子が刀くわえて走ってんの?えーとくのいち?くのいちとかかな?や、百歩譲ってくのいちとかだったとしようそう考えるのが自然っスからね、何が自然だか知らねっスけど、でもだったら何で刃を自分の方に向けてんの?ドジっ娘?ドジっ娘なの?『だって刃物を渡すときは自分の方に刃を向けるのがマナーじゃないですか』的発想?いやその考えはおかしい、そんなことより俺はどうしたら?馬鹿なこと考えてる間にもものすごい勢いで血が出てるよ?噴水みたいに、って綺麗とかじゃなく、まずは救急車そして警察、ちょちょっと待てここで通報した場合、犯人俺じゃね?故意じゃないけど『刀をくわえたくのいちに角でぶつかったら死んだ』なんて言い訳が通用するのか?ちがうちがう言い訳じゃなくて真実だし真実はいつも一つ!だけどここに名探偵は居ない、つまり状況的に俺タイーホ?返り血浴びてるしつい反射的に日本刀持っちゃったし絵的にも常識的にも俺が犯人ぢゃん?うわー冤罪で俺捕まるの?死刑?死刑っスかね?しかもよく見たらウチの中学の制服じゃないっスか、くわえてるのが刀じゃなければ、そして死んだりしなければ、フラグ確定なのに…
ここまで0.1ミリ秒。(本人申告)
そんな風にオロオロしている間に彼女は起きあがり、咀嚼丸から刀を奪い返し、それを腕からずぶずぶと体内に埋めてしまい込み、そして未だ再生していない口でそのままこう言った。らしい。
「ごめんねー?怪我はなかったー?私ったらついいつもの癖で…(以下、聞き取れず)」
いくらかわいいとはいえ、耳まで裂けた口でそんなことを言われたらできることはただ2つ。その場から一目散に逃げるか、そのまま気絶するか。彼は後者だった。


気が付くと彼は見知らぬ部屋に寝かされていたと言う。
血に濡れた学生服は脱がされ、代わりに白土三平のマンガに出てきそうなぼろいニンジャ服のようなものを着せられていたらしい。
「おお、気付いたか。よかったよかった」
声のした方を見ると、そこにはエロマンガに出てくるくのいちが着ていそうな和風の服を着た、長い黒髪のものすごい美人の優しそうなお姉さんが正座して座っていた。エロマンガに出てくる、とわざわざことわっている事に留意してもらいたい。つまり、胸元は危険なほどはだけていたし、裾はありえないほど短かった。ぶっちゃけ見えていた、らしい。
賢明な読者であればこの美しい女人は斬であり、ありえないエロイ格好は単に戦闘服から着替えるのがめんどうだからというだけであり、見えたと喜ぶ中身は何もありませんよなのだが、もちろんその時の咀嚼丸はそんなことは知らない。ただ単にラッキーと思うのみであった。『そういや、やたらとやらしい目で見られてたな、あの時。まああのくらいのガキとしては普通か』との証言もある。
だがしかし、すぐに自分がどういう状況に置かれていたのかを思い出したのだという。自分は(故意ではないが)ヒトを殺してしまったかも知れないのだ。彼は飛び起きた。
「おお、元気だな。流石に若い」
彼はそれどころではなかった。パニックに陥っていた彼は、目の前の美人のお姉さんにこれまでのことを洗いざらい話したのだという。それでどうしたらいいのか、と問うたのだと言う。
それは要するに「自分は悪くないのに酷い目にあった、この先どうしたらいいのか」と、見ず知らずのヒトに尋ねるのと同じ行為だが、なんせ中学生である。粋がってはいても頼りになりそうな大人がいたらきっと誰でもそうしてしまうのではないだろうか。私も多分同じ状況ならそうしてしまうかもしれない。
斬はそれをニコニコと聞き流し、「まあ、気にするな」とだけ返した。
「知らない方が良いこともこの世にはあるからな。もう少しゆっくりして、服が乾いたら帰ると良い。ちなみにお前には酷い怪我に見えたかも知れないが妹は無事だ。迷惑かけたことは反省してるから許してやってくれ。後でちゃんと詫びにも行かせる」
そして「俺がいると落ち着けないだろうから」と彼女は立ち上がり、部屋を出ていった。
また見えた、と咀嚼丸は言った。
「驚いたっスよ…はいてないはほんとうにあったんだ!みたいな。感動したっス」
私は万感の思いを込めて「若いって良いねぇ…」と答えたが、「えへへ、そうっスかね」と彼はテレた。良かった。相変わらずバカだ。
久しぶりに見る咀嚼丸はスーツなんぞを着こなしていて、当時より遙かに大人になっていた…当たり前か。あれから十数年経ったのだ。
「正確には13年っスかね…もう四捨五入したら三十路っスよ。もー早く結婚したいっスよ」
中身はともかく外見は見事なまでにイケメンだ。多分望めばできそうなものだが。
「いやー仮にもあの二人とつきあった後だと、普通の娘はどうもね…目が肥えちゃったっスかね、はははははははははは」
まあ個人の自由なので放っておいた。
咀嚼丸の思い出話はなおも続く。
多分そちらの時間で一週間くらい続く。
申し訳ない。